【健康のためなら、不健康になってもいい?】
〜スポーツの日に考える、ヨーガ哲学と身体の不思議〜
健康のためにジムへ行き、筋肉痛で階段を降りられなくなる。
痩せるために食事制限をして、ストレスでケーキを爆食いする。
睡眠の質を高めようとスマートウォッチを購入し、睡眠スコアが悪くて朝から落ち込む。
もはや、何のための健康管理なのかわからない。笑
今日はスポーツの日。
せっかくなので、ヨーガ哲学から健康について考えてみたいと思います。
古代インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』には、こんな教えがあります。
「行為する権利はある。しかし、その結果に対する権利はない」
簡単にいえば、やるべきことには誠実に取り組む。でも、結果に心を振り回されない。
これが、なかなか難しい。
なにしろ人間は、結果が大好きです。
体重が減れば喜び、増えれば落ち込む。
身体が柔らかくなれば嬉しくて、硬くなれば年齢のせいにする。
健康診断の数値に一喜一憂し、スマートウォッチに褒められてご機嫌になる。
いつから私たちは、機械に健康を採点してもらうようになったのでしょう。笑
そんな私も、この夏、身体から思いがけない授業を受けました。
8月、肩甲骨のあたりに痛みを感じ始め、やがて腕に痺れが広がり、ついには激痛で2日間も動けなくなってしまったのです。
診断は頸椎椎間板ヘルニア。
いやはや、参りました。
普段は身体を動かすことを仕事にしているのに、まさか自分が動けなくなるとは。
呼吸を調えようにも、痛みでそれどころではない。
ヨーガ哲学を学んでいても、激痛の前ではなかなか立派なことなど言っていられません。
悟りへの道は遠い。まずは、この痛みを何とかしてほしい。笑
そんな数日間でした。
けれど、動けなくなって初めて気づくこともありました。
普段、当たり前にできていることが、実は何ひとつ当たり前ではなかったということ。
起き上がること。
腕を動かすこと。
痛みを気にせず眠れること。
何気ない日常が、どれほどありがたいものだったのか。
身体が自由に動くときには、もっと柔らかく、もっと強く、もっと上手にと、つい欲張ってしまいます。
ところが、いざ動けなくなると、願いは驚くほどシンプルになる。
「普通に動ける身体に戻りたい」
人間の欲望というのは、実に都合よくできています。笑
そして、ここで思い出したのが、ヨーガの教えでした。
結果に執着しない。
それは、努力しないことでも、何も望まないことでもありません。
自分にできることを丁寧に行い、その結果を無理に支配しようとしないこと。
身体もまた、自分の思いどおりになるものではありません。
鍛えていても痛めることはあるし、気をつけていても不調になることはある。
だからこそ、思いどおりに動かない身体を責めるのではなく、今の状態を知り、必要な手当てをしながら付き合っていく。
身体は、自分の所有物でありながら、決して自分の支配下にはない。
なんとも哲学的で、少々厄介な存在です。
健康とは、常に絶好調でいることではないのかもしれません。
調子のよい日もあれば、悪い日もある。
できることが増える日もあれば、減る日もある。
そんな変化の中で、自分の身体との関係を育てていくこと。
そして、不調を経験したからこそ、何でもない日常に幸せを見つけられること。
それもまた、健康の豊かさではないでしょうか。
さて、今日はスポーツの日。
元気に身体を動かせる人は、その喜びを存分に。
少し疲れている人は、休むという選択を。
そして、今まさに痛みや不調を抱えている人は、どうか無理をせずに。
結果を大切にしながら、結果の奴隷にはならない。
身体を大切にするとは、思いどおりに動かすことだけではなく、思いどおりにならない日にも、その身体を大切にできること。
そんなことを、この夏、身をもって学びました。
できれば次回の哲学の授業は、もう少し穏やかな方法でお願いしたいものです。笑
一般社団法人 日本企業ヨガ協会
代表理事 余吾 千洋
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