2026.10.12

【健康のためなら、不健康になってもいい?】

〜スポーツの日に考える、ヨーガ哲学と身体の不思議〜

健康のためにジムへ行き、筋肉痛で階段を降りられなくなる。

痩せるために食事制限をして、ストレスでケーキを爆食いする。

睡眠の質を高めようとスマートウォッチを購入し、睡眠スコアが悪くて朝から落ち込む。

もはや、何のための健康管理なのかわからない。笑

今日はスポーツの日。

せっかくなので、ヨーガ哲学から健康について考えてみたいと思います。

古代インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』には、こんな教えがあります。

「行為する権利はある。しかし、その結果に対する権利はない」

簡単にいえば、やるべきことには誠実に取り組む。でも、結果に心を振り回されない。

これが、なかなか難しい。

なにしろ人間は、結果が大好きです。

体重が減れば喜び、増えれば落ち込む。

身体が柔らかくなれば嬉しくて、硬くなれば年齢のせいにする。

健康診断の数値に一喜一憂し、スマートウォッチに褒められてご機嫌になる。

いつから私たちは、機械に健康を採点してもらうようになったのでしょう。笑

そんな私も、この夏、身体から思いがけない授業を受けました。

8月、肩甲骨のあたりに痛みを感じ始め、やがて腕に痺れが広がり、ついには激痛で2日間も動けなくなってしまったのです。

診断は頸椎椎間板ヘルニア。

いやはや、参りました。

普段は身体を動かすことを仕事にしているのに、まさか自分が動けなくなるとは。

呼吸を調えようにも、痛みでそれどころではない。

ヨーガ哲学を学んでいても、激痛の前ではなかなか立派なことなど言っていられません。

悟りへの道は遠い。まずは、この痛みを何とかしてほしい。笑

そんな数日間でした。

けれど、動けなくなって初めて気づくこともありました。

普段、当たり前にできていることが、実は何ひとつ当たり前ではなかったということ。

起き上がること。

腕を動かすこと。

痛みを気にせず眠れること。

何気ない日常が、どれほどありがたいものだったのか。

身体が自由に動くときには、もっと柔らかく、もっと強く、もっと上手にと、つい欲張ってしまいます。

ところが、いざ動けなくなると、願いは驚くほどシンプルになる。

「普通に動ける身体に戻りたい」

人間の欲望というのは、実に都合よくできています。笑

そして、ここで思い出したのが、ヨーガの教えでした。

結果に執着しない。

それは、努力しないことでも、何も望まないことでもありません。

自分にできることを丁寧に行い、その結果を無理に支配しようとしないこと。

身体もまた、自分の思いどおりになるものではありません。

鍛えていても痛めることはあるし、気をつけていても不調になることはある。

だからこそ、思いどおりに動かない身体を責めるのではなく、今の状態を知り、必要な手当てをしながら付き合っていく。

身体は、自分の所有物でありながら、決して自分の支配下にはない。

なんとも哲学的で、少々厄介な存在です。

健康とは、常に絶好調でいることではないのかもしれません。

調子のよい日もあれば、悪い日もある。

できることが増える日もあれば、減る日もある。

そんな変化の中で、自分の身体との関係を育てていくこと。

そして、不調を経験したからこそ、何でもない日常に幸せを見つけられること。

それもまた、健康の豊かさではないでしょうか。

さて、今日はスポーツの日。

元気に身体を動かせる人は、その喜びを存分に。

少し疲れている人は、休むという選択を。

そして、今まさに痛みや不調を抱えている人は、どうか無理をせずに。

結果を大切にしながら、結果の奴隷にはならない。

身体を大切にするとは、思いどおりに動かすことだけではなく、思いどおりにならない日にも、その身体を大切にできること。

そんなことを、この夏、身をもって学びました。

できれば次回の哲学の授業は、もう少し穏やかな方法でお願いしたいものです。笑

一般社団法人 日本企業ヨガ協会
代表理事 余吾 千洋

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