ご機嫌でいることも、立派な修行である。
〜ヨガマットの外にこそ、大切な学びがある〜
朝、目が覚めて、ふと思う。
「今日は穏やかな一日にしよう」
そんなささやかな決意をした日に限って、なぜか物事が思い通りに進まなかったりする。
急いでいるときに限って信号は赤。
予定していたことが突然変わったり、誰かの何気ないひと言が、いつまでも心に残ってしまったり。
あれれ。
今朝の穏やかな気持ちは、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。(笑)
ヨガをしていると、いつも心が穏やかで、怒ることもなく、何事にも動じない人だと思われることがあります。
でも、そんなことはありません。
嬉しい日もあれば、落ち込む日もある。
腹が立つこともあれば、ちょっとしたことで心が曇る日もあります。
どれだけヨガを学んでも、私たちはやっぱり人間です。
そして最近、しみじみと思うのです。
ヨガの本当の学びは、マットの上だけではなく、何気ない日常の中にこそあるのかもしれない、と。
ヨーガ哲学には「サントーシャ(知足)」という教えがあります。
今あるものに目を向け、そこに満ち足りた心を見いだすこと。
それは、何でも我慢しましょうということでも、無理に前向きになりましょうということでもありません。
悲しいときには悲しくていい。
腹が立つときには、腹が立ってもいい。
ただ、その気持ちに気づいてあげること。
「あぁ、私は今、こんなふうに感じているんだな」
そうやって、自分の心にそっと寄り添ってみる。
それだけでも、心の中に少し余白が生まれることがあります。
私たちはつい、外側の出来事によって、自分の幸せが決まるように感じてしまいます。
仕事がうまくいったら。
時間に余裕ができたら。
誰かに認めてもらえたら。
きっと、そのときには心から満たされるはず。
けれど、ひとつ願いが叶えば、また次の願いが生まれてくる。
人生とは、なかなか忙しいものですね。
だからこそ、すべてが整う日を待つのではなく、今ある小さな幸せを味わってみる。
温かいお茶をいただく時間。
ふと見上げた空の美しさ。
誰かと交わす何気ない会話。
思いがけず届いた、優しい言葉。
そんな日常の中にも、心を満たしてくれるものは、たくさん散りばめられています。
以前は、心が揺れることを、どこか未熟なことのように感じていた時期もありました。
もっと穏やかでいなければ。
もっと大きな心で受け止めなければ。
そんなふうに、自分に求めすぎてしまうことも。
けれど、ヨガを学ぶ中で少しずつ感じるようになりました。
心が揺れないことが大切なのではなく、揺れた心に気づき、また自分に帰ってこられることが大切なのだと。
いつも笑顔でいなくてもいい。
ご機嫌になれない日があってもいい。
そんな自分を責めるのではなく、「今日はちょっと疲れているのかな」と優しく声をかけてあげる。
自分に向けるその優しさは、やがて周りの人への優しさにもつながっていくように思います。
ご機嫌でいることは、決して無理に明るく振る舞うことではありません。
自分の心を大切に扱いながら、日々の中に小さな喜びを見つけていくこと。
そして、できることなら、自分の機嫌を誰かに委ねすぎず、自分自身で調えていくこと。
それもまた、日常の中でできるヨガの実践なのだと思います。
人生には、晴れの日もあれば、雨の日もあります。
雨を止ませることはできなくても、雨音に耳を澄ませることはできる。
思い通りにならない出来事の中にも、いつか振り返れば、大切な気づきが隠れているのかもしれません。
明日もきっと、いろいろなことがあるでしょう。
心が揺れたら、まずはひと呼吸。
そして、少しだけ微笑んでみる。
「あぁ、今日も私らしく生きているな」
そんなふうに思えたら、それで十分。
ご機嫌でいることも、立派な修行。
けれど、ご機嫌でいられない自分にも、どうか優しく。
今日という一日を生きた自分に、小さな「ありがとう」を。
ヨガマットの外にも、私たちを育ててくれる時間は、静かに流れています。
今日も、心穏やかな夜でありますように。
一般社団法人 日本企業ヨガ協会
2026年10月24日
哲学的背景:パタンジャリ『ヨーガ・スートラ』第2章42節、サントーシャ(知足)。日常の描写には随筆としての創作表現を含みます。